長春旅行の後は、瀋陽に移動しました!
瀋陽で最初に行ったのは、女真族の大王ヌルハチのお墓、福陵!
ヌルハチは清王朝を作った人物としても有名。
福陵は市内から15kmほど離れた、東陵公園の中にあります。
福陵
太祖ヌルハチと孝慈高皇后(イエホナラ氏)が眠る陵墓。
市区の東郊外にあることから東陵とも呼ばれています。
建設が始まったのは1629年。
完成は1651年。
神道
正紅門(または大紅門)をくぐるとあるのが神道。
当時は祭事を執り行う者以外は通行することができず、違反した者は厳重に処罰されたそうです。
特に、碑亭に近づいた者には”横走罚,竖走杀,马过砍蹄”(横に歩けば罰し、縦に歩けば殺し、馬で通れば馬の蹄で頭をかち割る!?)という規則があったそう。(こわ…)
清の時代、神道を設置する際、特殊なルールがありました。
それは、神道と隆恩門の間には建築物を置き、神道と隆恩門が必ずつながっているように見える、ということ。
清の時代が永遠に、長く続きますように、という意味が込められているそうです。
福陵は神道と隆恩門の間に、聖徳碑と、108段の階段の2種類の隔たりを表す建築物を置いている点で、他の清陵とは異なります。
神道には石柱華表やラクダ、馬などの石獣が置かれています。
一百単八磴(108段の石段)
福陵の建物は天柱山の上に建っています。
が、大紅門や石像は全て下の平地の上にあります。
この間に45度の傾斜があるため、石段が置かれています。
この石段は全部で108段の階段になっています。
中国語では一百単八磴と呼ばれています。
長さは40メートル。幅は7メートル。
横の壁部分は高さ1メートルで黄色い琉璃瓦がついています。
一百単八磴は明清の皇陵の中でも唯一の建築様式です。
108という数字の由来は諸説あります。
ひとつは道教の考え方で、天には天罡星が36つ、地煞星が72つある、と言われていて、この数はもともと不吉な数字であり、108段を足で踏んでしまうことで、平安無事になると信じられていたため108段の階段になったという説。
もうひとつは仏教からきたという説。
108といえば煩悩の数であり、数珠の珠の数ですよね。
碑亭
108の階段を登った先には康熙帝が1688年に建てた石碑、大清福陵神功聖志碑が置かれています。
高さは7メートル。
ここには満州語と漢語でヌルハチが成し遂げたことが記されています。
方城
正門は3階建ての楼閣五鳳楼がある隆恩門。
中心には東西に配殿、中央に隆恩殿が建っています。
ここは祭祀を行う場所で、康熙帝や乾隆帝などもここで祖先のお墓を祀ったそうです。
月牙城
方城の北にあるのは月牙城。
新月のような形をしていることからそう呼ばれています。
湾曲した月のような壁は”月牙影壁”とも言われていて、真ん中には富貴の象徴である牡丹の花と花瓶をあしらった飾りがあります。
これは伝説では地宮の入口だとも言われています。
美しい名前とは裏腹に、恐ろしい言い伝えも残されています。
当時地宮を建設していた大工たちが地宮の秘密を外に漏らすことを恐れて、地宮が完成した後、大工たちに薬を飲ませて喋れないようにしてしまったそうで、そこから月牙城は哑巴(yǎ bā=話せない人)城とも呼ばれるようになったそうです。
月牙城の建築様式は清代の特徴的な様式で、明代やそれ以前の陵墓にはありませんでした。
宝城、地宮
月牙城の北にあるのが、太祖ヌルハチと孝慈高皇后が眠る宝城。
宝城の中で盛り上がっている部分が宝頂、または独龙阜(dú lóng fù)で、ここが墳丘。
明・清時代に、陵墓の修復工事を行った際、中を見た者によると、中には石床があって、石床の上に棺が置いてあるそうです。
真ん中には皇帝の棺があって、その棺の下には”金井”があると言われています。
この”金井”は”海眼”と呼ばれ、中には水が渦巻いていると噂されたこともあるそうですが、出土した”金井”を見る限りは、直径10cmほどの深さの穴だということです。
福陵が建てられたは比較的早かったので他の清皇帝たちの陵墓に比べたら簡素ですが、中がどうなっているかはいまだ謎に包まれています。
観光情報
●住所:东陵区东陵东街81号
●電話番号:8803-1568
●営業時間:
・5〜10月上旬:8:00〜17:30
・10月中旬〜4月:8:30〜16:30
●入場料:
・4月1日〜10月31日:40元
・11月1日〜3月31日:30元
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