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「母と娘の『しんどい関係』を見直す本」(石原加受子) いらないものを送ってくる、突然押しかけてくる、過干渉な親の考え方

4.0
「母と娘の『しんどい関係』を見直す本」

娘の絵本を借りに図書館に行ったとき、「母と娘の『しんどい関係』を見直す本」という本を見かけて、思わず手にとって、借りました。

子どもが生まれたのをきっかけに、私の母は、産後ハイならぬ、”孫ができたハイ”のようになり、私の気持ちを無視して自分の欲求を通してくるのが目立つようになりました。

当時の私は起業して、赤子を育てながら仕事を軌道にのせるために、1分1秒レベルで工夫しながら時間をつくってがむしゃらでした。

が、孫見たさに突然家に来たり、ものを増やしたくないからものはいらないと言っても娘のもの(娘の状態や私たちのニーズを把握していないから使えない)を買ってきたり。

そういうことが続いて、今まで「親の言うことを聞くいい子ちゃん」をしてきた私も我慢の限界がきて、はっきりとお願いしました。

・突然家に来ないで。

・家に来るときは遅くとも2日前までには連絡をして。
(仕事の調整、夫との段取りの調整などするため)

・ものは買わないで。

・買うなら事前に相談して。

・ものを送ってこないで。

・子育てに関して干渉しないで。

などなど。

が、「悲しい」「ひどい」とこちらに罪悪感を感じさせる言葉を言って、結局聞き入れてもらえず。

思い返してみれば、昔から、私がいやだと言っても聞いてもらえなかったことがたくさんあったことを思い出して、悲しくなっていきました。

結局、私のため孫のためと言いながら、自分の方が大事なんだな。

母がアクションをとるたびに気持ちを無視された私は家で大泣き。

プロのカウンセラーをしている友達にカウセリングをしてもらい、過去に遡って傷ついた小さい頃の自分、インナーチャイルドを癒やしてもらう、ということもしました。

その時は落ち着いたりしたけれど、またいらないものが送られてきたり、「私のため」と言いつつ自分のためだろうと思うような行動がとまらず。

移住して物理的に離れられたことで少し気持ちは楽になって。

でも心の底のモヤモヤは消えず、夢の中で自分でも信じられないくらいすごい剣幕で親に怒っていたり。。

そんな時にふと出会ったこの本に、図らずもとても救われました。

母がそんな行動をとってしまう理由も、自分がここまで怒りを感じる理由も、どうしたらいいかも、理解できてきました。

根深い問題なのですぐには抜け出せないけれど、記録して、何度も読み返して、楽になっていけたらいいなと思います。

わかるわかる、という内容ばかりだったので、引用だらけになってしまうけれども、私にとっていつでも立ち返りたいと思う言葉ばかりだったので残しておきます。

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親が子どもに過干渉になる理由

親が感情的になって子どもと争ってしまうのは、「正しい、正しくない」の正論を主張しているわけではなくて、
「私は寂しい孤独になるのが怖いから、こんな形でコミュニケーションをとっていたほうが、安心できる」

「小言を言えば、子どもが反応してくれる。
子どもが反応する間は、私は見捨てられることもないし、孤独になることもない。」

相手に尽くすという行為は、一見すると、相手を尊重している行為のように思えるかもしれません、けれどもそれは表面的なことで、無意識の視点から見ると、相手に尽くすことによって、相手より優位に立つことが「目標」となっています。

そもそも、尽くす人と尽くされる人との関係は「依存関係」で成り立っています。

相手が自分に依存してくれれば、自分が見捨てられることはありません。

そんな無意識の目標があるために、「尽くす」という方法で、尽くされる人を自分の掌中におさめようとするのです。

自分が我慢しながら相手に尽くすという行為は、同時に、相手の能力や自信を奪っていることにもなるのです。

「しなければならない」という義務感を持って相手に尽くしていれば、尽くした人は自分の気持ちや欲求や感情を抑えるために、抑えただけの分量の不平不満を自分の中に抱えこむことになるでしょう。

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母と娘がわかりあえるなんてただの幻想

そもそもの価値観が違うので、わかり合うのは難しい。

“心”に目を向けるための情報もなく、”個”としての存在を尊重する時代でもありませんでした。

あなたの親は、そんな時代に育った人たちです。

現在とは、まったく異なる環境だったのです。

まったく異なる環境に育った人同士は、共通の経験がない限り、お互いを理解することはできません。

あなたがどんなに「私の気持ちをわかってよ」と叫んでみても、親にしてみれば、理解不能なただの「理屈」を言っているようにしか聞こえません。

高度経済成長期まっただなかを生きた母の時代はものの多さ=豊かさ、な時代。

ものがあるのが当たり前になっている今はものが増えれば増えるほどストレスになって、厳選されたときめくものだけを置くのが幸せな時代。

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同情の支配

「いやだからやめて」と言うと「悲しい」「残念」と言う母。

悪い娘だと罪悪感を感じてもやもやする自分も嫌だし、母が私に罪悪感を感じさせよう悔い改めさせようという意思を感じるのも嫌でした。

 

親子関係で最も悲痛な状況になりやすいのは、「同情の支配」と呼んでいるもの

あなたが子どもの目で「親がかわいそう」と感じてしまうとしたなら、それは「同情」という名で支配されている可能性が高い

同情の支配で最も手強いところは、それを拒むと「強烈な罪悪感に襲われる」ということ

その罪悪感が「愛」から生じるものだと勘違いし、ともすれば振り回されてしまっている人は多い

子どもがやってあげればあげるほど、母親は「やってもらうこと」に慣れてしまう

親によっては、子どもがそうするのは「当然だ」と思っている人さえいる

我慢して、苦労して生きてきた親ほど、こう思うものなのです。

自覚はなくても、「どんなに頑張っても報われなかった」という無念の気持ちを抱えている

おそらくはその親自身もまた、いくら尽くしても感謝されない環境に育ったため自分の子どもにそれを繰り返してしまっている。いまだに親自身がその親の影響から抜け出せずにいる

子どもがどんなに親に尽くしてあげたとしても、親の心には不満が募ります。それは「満たされている」という満足感の感度の低さや乏しさが親の方にあるから

「つらい。苦しい。」という同情で子どもを支配しようとする、親の「無意識の策略」に気づいて、それに乗っていかないように気をつけましょう。

そうしないと、自分自身もまた親と同じような運命をたどり、親子三代、同じ言動のパターンで動くことになります。そして、そのパターンが世代を経て巧妙になっていけばいくほど、悲劇も大きくなっていくことでしょう。

 

 

子どもが自分のために生きる。子どもが自分の欲求をかなえる。子どもが自分のしたいことを目指して努力する。本来、親にとってこれは祝福したいことです。

子ども自身もそんな自分に誇りを感じ、歓びを持てるのが自然でしょう。

親はみな、「子どもが幸せになってくれることを、心から願っている」と言います。

もちろんそれは嘘ではないでしょう。

にもかかわらず、「同情の支配」はそれを許しません。

それは多くの親が、無意識のところで「子どもが自立すれば、自分は見捨てられる」と思っているからです。

そんな無意識の恐怖が、子どもの幸せを願う気持ちを上回ったとき、「同情の支配」をしようとしてしまうのです。

一方、「親が願うのは子どもの幸せ」と言いつつも、「親が理想とする子どもの幸せ」を子どもに押し付けようとする親もいます。そしてもしも子どもが親の理想から外れるようなことがあれば、子どもに罪悪感を覚えさせようとするのです。

「同情の支配」の最もやっかいなところは、同情の支配をする人の心の中に、「物事がうまくいったり、よくなったり、改善されたりするのは困る」という意識が隠れていることです。

自分が幸せになってしまえば、同情で気をひくことができなくなって、「同情の支配」を続けることができません。そして相手に自立心が芽生え、幸せになろうとすれば、支配ができなくなるということは言うまでもないでしょう。

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自分のために、自分を守る

じゃあどうしたらいいか、というと、もう、自分の身は自分で守るしかない。

自分が傷つかないように、いやな思いをしないように、原因から離れることが大事。

一般的には親不孝とか、優しくないとか、理想的じゃないと捉えられるかもしれないけれど、何よりも自分を大事にするのが良いんだそうです。

私たちは、人として尊重されてしかるべき存在です。

この尊重というのは、いわば心のテリトリー(領域)を侵さないということ

無断で子どものアパートに入り込んでみたり、相手の都合も考えずに呼び出してみたり…そんなふうに相手の心に無遠慮に踏み込まない。乱暴に侵入しない。親子であってもそれを侵すことはタブーです。

相手のテリトリーに入るには、まず、お互いの同意や許可が必要なのです。

そんな心のテリトリーが確保できて、その安全性を侵されることはないという安心感があってこそ人は心を開けるものなのです。

ところが、自分の欲求や気持ちを大事にできていない人たちは、「私と相手」の境界線が見えていません、それが見えないために、自分のテリトリーを確保できないでいます。

女性なら、嫁として、妻として、娘として、母親として…。

「そうあるべき、すべき」と思い込んでいることがたくさんあります。

「しなければならない」という思いが強いから、反対に、相手の自由を認めなかったり、相手の心のテリトリーを侵してでも、自分に従わせようとしてしまう

尽くされる人も、自分の能力を奪われて、どんどん無力にされてしまったという憤慨が残ります。

尽くされる人は、何が起こっているのかわからない。けれども、奪われてしまったものを無意識に感じ取り、”なぜか怒りがこみ上げてくる”という場合も多い

親が自分に理解を示してくれさえしたら、満足するのだろうと思いこんでいました。

けれどもそうではなくて、「自分が自分を満たしてあげることのほうが、早道だったんですね」

この本では「他者中心」(相手のことを必要以上に気にして、相手の顔色を窺ったり、相手の態度や反応によって自分の言動を決めたりする生き方)ではなく、「自分中心」(他者よりも自分の気持ちや感情を大事にする)の生き方を勧めています。

一見わがままで身勝手、自己中、なイメージですが、実は逆。

他者のことを思いやれない人、自分の主張を一方的に通そうとする人、争ってでも自分の我を通そうとする人たちこそ、自分を大事にできない「他者中心」の生き方をしてきた人たち。

 

何度も親不孝な自分、いい娘になりきれない自分に罪悪感を感じてきましたが、やっぱり自分の気持ちを大事にしていこうと思います。

いい本に出会えてよかった。

また、時々読み返そうと思います。

いつも読んでくださってありがとうございます♡


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