こんにちは!
清の康熙帝の宮廷ドラマ《花落宫廷错流年》を見ました。
邦題は『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』。
日本でも今年1月17日から放送されます。
《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』のドラマ基本情報
●英語タイトル:なし
●邦題:『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』
●主演:赵滨、李莎旻子、廖彦龙、郑晓东、郑拓疆、汪晴、桑娜、毛娜
●話数:(第一季)22話、(第二季)28話
●放送開始:2017年12月18日
●配信:腾讯视频
《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』のあらすじ(ネタバレ注意!)
清の康熙帝は、二人の娘に伴读(主人の子に付き添って一緒に勉強する人)、かつ後の息子たちの妃候補を3人選びます。
才女で側近年羹堯(nián gēng yáo)の妹、年姝媛(nián shū yuán)、都统である石文炳の娘贺兰(hè lán)、将軍の娘凝秀(níng xiù)。
年姝媛は幼馴染の纳兰公子と両思い。将来の結婚を約束している仲。
贺兰は太子の后になりたい気持ちから、皇帝の2番目の息子(二阿哥)であり太子である胤礽(yìn réng)のことを慕っています。
凝秀は皇帝の4番目の息子(四阿哥)、胤禛(yìn zhēn)のことが好き。
太子である胤礽は伴读の選抜試験でひと目見た時から姝媛のことが気になっています。
4番目の息子、胤禛も同様に姝媛のことが好き。
姝媛は太子に好かれていることを知っていたけれども纳兰公子一筋だし、一緒に宮廷に入った伴读仲間の贺兰が太子のことを好きなのをわかっているので、拒否していました。
紆余曲折あり、纳兰公子は別の女性と結婚。
ショックを受けた姝媛を太子は側で励まし続け、愛を伝え続けます。
次第にほだされ姝媛も太子のことが気になり始めます。
《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』は《甄嬛传》『宮廷の諍い女』の続編!?
《甄嬛传》『宮廷の諍い女』を見たことがある方はお気づきかもしれませんが、年姝媛は《甄嬛传》『宮廷の諍い女』で出てくるあの意地悪な华妃(華妃)(=年世兰)と同一人物の敦肃皇贵妃です!!
(※画像は百度から拝借)
(個人的にはこの华妃、クールで大好き。笑)
そしてこの右が华妃のお兄さん年羹尧▼
(※画像は百度から拝借)
《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』では年姝媛のお兄さん年羹尧は比較的かっこよく描かれていましたが、《甄嬛传》『宮廷の諍い女』ではおっさんです(笑)
懐かしい雍正帝の側近(太监)苏培盛公公も出てきますよ〜!
※ネタバレあり※
そして、《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』のイケメン四阿哥は甄嬛が嫁いだ雍正帝です。
▼《甄嬛传》『宮廷の諍い女』ではこれまたおっさん…(T_T)
《甄嬛传》『宮廷の諍い女』を見た後にこのドラマを見ると、前情報がわかっているので話の理解が早いのと、ああなるにはこんな裏事情があったのか〜なんて妄想もできます。
もちろん両方のドラマは史実に正確ではないけれど、こんなことが起きていた可能性もあるかも…と思うとより面白く感じます。
《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』を見た感想※ネタバレ注意※
ネタバレありですのでまだ見てない方、ネタバレはごめん!という方は見ないでくださいね。
話の全体の流れ的には、ヒロインである年姝媛のお相手は太子である二阿哥、胤礽です。
が、この胤礽、見た目も…ですし(←ごめんなさい)、性格も微妙だし、おいおいお前が何も考えずに動くからややこしくなって姝媛にも迷惑かかっとるがな!!と、見ていてイライラしてしまって、あまりにも魅力的じゃないので途中までまさかこの胤礽がヒーロー的扱いになるなんて信じておりませんでした。
四阿哥の胤禛は顔もかっこいいし、頭もよくて策略家だし、姝媛のことを好きでありながらそれを伝えず途中まで側でこっそり支えて助けている存在だったので、いずれは姝媛も胤礽にがっかりして、胤禛のことを好きになって結ばれるんだろうな〜(《甄嬛传》見ていたのもあって二人が結ばれることは知っておりました)と期待していたのだけど、進めど進めどそんな流れにはならないし、なんなら胤禛がどんどん悪く描かれていって、姝媛も胤礽も彼を憎んでいるしで、期待していた展開とちゃーーーーう!とがっかりしました。
姝媛と胤礽二人が結ばれなくなっても、いやまあそうなりますよね…と冷めた目で見てしまって、全く感情移入できず、二人の仲を応援できませんでした。
結末もとってもがっかり。
なんか…頑張って見たけど…微妙だったな…。
頑張って見た割に幸せな気持ちになるシーンが少なくて、ちょっと時間を無駄にした感…
(なら見なきゃいいのに見てしまった…)
年姝媛(敦粛皇貴妃)の史実
ドラマは微妙だったけど、せっかくなので実在した年姝媛(敦粛皇貴妃)のことをお勉強しておきましょう♡
何事も無駄にはしない主義!!!
清の雍正帝の側妃。姓は年氏。漢軍旗人の撫遠大将軍・年羹堯の妹。年羹堯は、皇位継承争いで雍正帝の擁立に大いに貢献した。
康煕50年(1711年)頃、雍親王の胤禛(のちの雍正帝)に嫁ぎ、側福晋(側室)となった。
康煕54年(1715年)に雍親王の第4女を出産、その後康煕59年(1720年)に第7子・福宜、康煕60年(1721年)に第8子・福恵、雍正元年(1723年)に第9子・福沛を立て続けに出産したが、いずれも夭折した。
雍正帝の即位後、雍正元年(1723年)に貴妃に冊立された。
雍正3年11月15日(1725年12月19日)、皇貴妃に進封されたが、同年11月23日(1725年12月27日)に病没した(年羹堯の失脚も同月であった)。
敦粛と諡され、棺は田村殯宮に安置され、乾隆年間に泰陵の妃園寝に陪葬された。
ドラマでは宮廷を抜け出した後に妊娠が発覚して逃げ出したお寺で息子を出産していますが史実ではなさそう。
子どもも4人産んでいます。
以上、《花落宫廷错流年》『花散る宮廷の女たち ~愛と裏切りの生涯~』を見た感想でした!
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