中国に初めて来た時に驚いたのが、車のクラクションがうるさすぎること。
中国にしばらく住んでいると慣れてなんとも思わなくなってしまったけれど、久しぶりに日本に帰った時に、あれなんか静かだなぁと思ったし、この前中国に初めて来た友達も「え、こわっ…何事…!?」とびっくりしていた。
なんでこんなにクラクション鳴らすんだろう…と考えてみた。
ここからは超個人的な意見です。
そして酔っ払いながら書いています。
あしからず!
中国は自己主張してなんぼの世界
中国で暮らすようになってから理解できるようになってきたのは、「主張してなんぼ」という考え方。
日本の察する文化
日本で生活していた時は、友達同士でも家族でも、お店の店員さんでも、みんな「察する」ということを無意識にしていて、相手がどうしたいかとか、どうしたら相手に不快な思いをさせないかとかそういうことを常に考えている。
そしてその「察し」はよっぽどのことがない限りそう大きくは外れない。(中国に慣れてしまうと日本のサービスは過剰に思えて居心地悪かったりするけども…笑)
もちろん、小さな日本とはいえ1億数千万人いるので、みんながみんな同じような考えと価値観を持っているわけではないけれど、少なくとも普段の生活においてより多く関わる近しい人々とはある程度「共通認識」がある。
あうんの呼吸みたいなものがある。
だから、そんなに自己主張せずとも、ある程度自分がしてほしいように周りは動いてくれるし、それがスタッフレベルでできるお店やサービスがユーザーからの支持を得る。
仕事でプロジェクトをまわすにしても、そこまでびっくりすることは起こらない。
こんな感じで進めるよね、みたいなコンセンサスがどの組織にもある程度存在するし、みんなそれを認識している。
中国の言葉で伝える文化
ところが中国ではそうもいかない。
なんせ14億人(戸籍のない人も入れればもっと)の人口大国。
そして多民族国家だ。
一番人口の多い漢民族を入れて56もの民族がいる。
宗教も違えば食べるものも違う、お互い通じないレベルで言葉も違う。
日本のような国を通しての「共通認識」は薄い。
(民族内ではもしかしたら日本以上にあるかもしれないけれどね)
だから全て「言葉」を使って自分の考えや要望を伝達する。
そういう意味では大陸に多民族、多言語の国家が存在するヨーロッパ圏に近い。
中国のドラマをたくさん見て気づいたのは、日本のドラマのようにセリフなし、表情や仕草で感情を表現する、ということがとても少ないということ。
日本であれば「こういう表情、仕草をしたらこう思ってるってことだよね」という共通認識が私たちにはある。でも、そんな表現方法中国でしたら理解できない人がたくさん出てしまう。
なぜなら広い中国、そういう全国共通の認識がないし、普段情報の伝達を言葉に頼って生きているから。だから主人公がどう思っているかは全てセリフやナレーションで表現する。
ということで、中国人は言葉を使って主張することに慣れている、というよりもそれが当たり前なのである。
中国では主張しないと良いサービスは受けられない。
サービスにおいても、「お客さんはきっとこうしてほしいだろうからこうしよう」みたいな「察する」意識はとても低い。(ここ最近変わりつつあるけれどね)
だから、サービスを受ける立場としては、「え…ありえん…」なことが多発するのが中国。
そういう時は自己主張するようにする。
クレームも言うようになった。
日本にいる時のように、申し訳ないなんて気持ちは一度捨てて、ちゃんと言葉で伝える。
その代わり言葉で伝えて理解してもらえれば、彼らはちゃんと対応してくれる。
言わなければわからない。
主張することを、悪いことだとは思われない。(日本だと煙たがれるよね…。)
自己主張することが当たり前の社会。
クラクション=伝えるツールのひとつ
車のクラクションも同じ。
うるさくしたら周りは迷惑に思うかも、と密かに察し合うような共通認識があるわけではなくて、自分から伝えなければわからないよね、ということ。
周りを見ていない中国人
中国で自転車に乗るようになって気づいたこと
mobikeやofoなどの自転車シェアリングサービスが2016年秋から始まって、それまではバスやタクシー、徒歩だった距離を自転車に乗るようになった。
それまでは全く気づいていなかったのだけれど、自転車に乗るようになってわかったのは
中国人、周りを見ていない…!!!
前から走ってくる自転車、人とぶつかりそうになったこと多数…。
同じ向き走ってるんじゃないよ、向かい合ってるんだよ!
道路だけじゃない。
プールで泳いでいても、前から泳いでくる人とぶつかりそうになる。
私は数メートル前から彼の存在に気づいていて、あーこのままだとぶつかるなぁ、と思いつつも、
私は自分のレーンをちゃんと泳いでるわけだから、レーンからはずれている彼がよけてくれるだろう、と思っていたら衝突した。(意地を張ってよけない私も私…笑)
中国に来て舌打ちをする回数が増えたのは、主にこれが原因だと思う(笑)←
人とぶつからない日本
日本では渋谷のスクランブル交差点だろうが
どんなに混んでいる地下鉄の駅だろうが
東京で二十数年生きてきて、人とぶつかったことはほとんどないに等しい。(最近スマホ歩きしてる人多いから増えてきたけれどね)
日本人には高性能のセンサーがついているのでは?というくらい、時間と距離を正確に見極めて、無意識に、人をよけられる。これはきっと、「周りに迷惑をかけてはいけない」という昔ながらの村文化が影響しているのではないかなと私は考えている。
小さな島国によくある価値観。
クラクションの真意
中国にはそのセンサーがない。
センサーが壊れているのではない、もともと備わっていないのである。
理由は素人の私にはよくわからないけれど、人口の多い大陸国家あるあるなのでは、と想像する。
2週間ほど旅したインドもそうだった。
中国では自分がちょっと大げさによけなければぶつかる。
自転車に乗りだして、あまりにもぶつかりそうになるから、やたら自転車のベルを鳴らすようになった。
鳴らしている時の私の気持ちはこう。
「はいはい今からチャリ通りますよ〜
危ないからちゃんとよけてね〜
気をつけてね〜」
そんな風に、日本ではほとんど鳴らしたことのないベルをチリンチリン鳴らしながら、
自分がこれくらいでちょうどいいかな、と思うより気持ち多めに鳴らしながら、走る。
車のクラクションもきっと同じなのだ。
日本人のクラクションを鳴らす時の感覚=限界まで我慢した末の
「オルァっ危ねえだろこんにゃろう!」ではなく
「危ないよ気をつけてね、車通るよ〜」なのである。
ブッブーとでかいクラクションを鳴らされた時、彼らは怒っているのではない。
むしろこれは彼らなりの「優しさ」なのである。
そう思うと、「おぉぉ前もって教えてくれてありがとう!おかげでよけられたわ」と感謝の気持ちすら芽生えてくる。かもしれない。
まとめ
中国人は自己主張するのが当たり前の人種。
察するのではなく言葉で伝える。
伝えることは悪いことではない。
だから、クラクションを鳴らすことも悪いことではない。
そして周りを見ない人に注意を促すためにクラクションを鳴らす。
決して怒っているのではない。
むしろ気をつけてね、という優しい気持ち。
日本人と中国人、日本と中国、どちらがいい悪いという話ではない。
どちらも性質と習慣が違うだけなのである。
だから、中国でクラクションを鳴らされても
びっくりしても、不快に思う必要はない。
これが彼らなりの表現方法なんだな、と思えばいい。
これが、中華圏に住んで丸4年たった、私なりの理解。
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