稽留流産を経験しました。
その時に感じた感情を記録に残しておきたいと思います。
具体的な経過はこちらの記事に書きました▽
稽留流産の診断、自然排出を選択
診断は、稽留流産。
妊娠8週の時に、胎嚢はあったけれど赤ちゃん(胎芽)が見えず、赤ちゃんが育っていないことが発覚しました。
「おそらく流産になるでしょう」と言われました。
(一週間後の診察で、まさかの赤ちゃんが現れて正常な心拍も確認できて、2週間くらい期待してしまう時間を過ごしました…詳しくはこちら▼)
」ー0週の時の診察で、心拍が弱まっていたため、流産が確定。
自然排出を待つか、手術をするかを選ぶ必要がありましたが、まだ赤ちゃんの心臓がゆっくりだけど動いていたので「じゃあ手術を!」という気持ちにはとうていなれず、自然排出を待ってみて、あまりにも出てきてくれなかったら手術をしよう、と決めました。
8週の診断の時に散々泣いたからか、意外にも冷静に話を聞けて、泣かず家に帰れました。
はたからはわからない悲しみ、今ある幸せ
皮肉にも、この流産確定の診断を受けたのは、娘1歳の記念写真を撮っていただく日の朝で。
なんてスケジュールを組んでしまったんだ…と、脳内お花畑だった数週間前の自分を恨みました…(^^;)
うまく笑えるかなってドキドキしながら撮影場所の公園に向かって。
初めて見るカメラマンさんに人見知り発動している娘をなんとか笑わせようと必死になっていたら、お腹の子のことは忘れていて、撮影に集中していました。
撮影している時、通行人の人に見られているのが何度か目に入ったのだけど、その時、「きっとこの人たちには、何もなく幸せな3人家族に見えてるんだろうなぁ」と思って。
今私にはだんなさんと可愛い娘がいて、幸せなんだ。
今ある幸せを大切にしなくちゃ。
と、何度も何度も言い聞かせて、自分を納得させてました。
今思えば、この悲しい診断の後に予定(しかもポジティブなイベント)が入っていてよかった。
何もなく家にいたらただただ落ち込んで、悲劇のヒロインになってしまって、今ある幸せに気づけなかったかもしれない。
そう思うと、これもお導きだったのかも。
自分を責める日々
自分が経験するまで、自分には流産は起こらないと思っていました。
最初の診断で、「1/4くらい流産の可能性がありますね」と言われても、自分は3/4の方に入るだろうと思っていました。
だって、健康には自信があったから。
生理は毎月きっちりした周期できていたし、(今まで超夜型人間だったのに)娘が生まれてから早寝早起きだし、在宅で健康的な自炊生活だし、週2でジムに通って筋トレ・有酸素運動をしているし、サプリも娘妊娠中から2年間ずっと飲み続けているし、病気したことないし、健康に関する仕事をしているし…
なのに、赤ちゃんが育たなかった。
どのサイトを見ても、
「流産は約15%の妊婦さんが経験する」
「初期の流産は赤ちゃんの遺伝性疾患、先天性異常が原因でお母さんのせいじゃない」
と書いてあります。
頭では、理解できていました。
でも、私のお腹の中にやってきて、私のお腹の中で育たなかったのは事実だから、自分のせいにしないなんて無理だった。
1歳になったばかりの娘は、歩き回るのが楽しくて、目に映る全てのものに興味があって、私の手を引いて部屋中動き回って手当り次第触ったり、抱っこを求めてきて高いところのものをとろうとするので、つわりで気持ち悪くて立つのもフラフラな私は、正直、「しんどい」「もう勘弁して」「休ませて」と思ってしまっていました。
それが、赤ちゃんに伝わっちゃったんじゃないかなと思って。
お母さんを苦しませたらだめだって思っちゃったんじゃないかって。
だから、心の中では自分を責めていました。
何か、腹落ちできる理由が、欲しかった。
娘が寝静まった夜、ひとりでベッドに入ると、お腹の赤ちゃんを想って泣いていました。
わー泣きそう!じゃなくて、気づくと勝手に涙が出ている状態。
「最後までお腹で育ててあげられなくてごめんね」
「なんで私だけ」
「なにかの罰なのかな」
「次妊娠できてもまた流産になったらどうしよう」
「神様に今じゃないって言われたのかな」
いろんな気持ちが混ざって、言葉にできなくて、ただただ涙になって出てくる感じ。
(いつもはしないのに)夜寝る前夫が話を聞いてくれたりして
その姿勢だけでも泣けて。
最初の数日間は毎日泣いてたかな。
街で子どもを2、3人連れて歩いているママや、自転車の前と後ろに子ども用の椅子をつけて走っているママを見る度に落ち込んだりしていました。
徐々に泣かなくてすむ日が増えてきて。
出血が始まって3週間経って、全く血が出なくなる頃には、日々の忙しさも相まって、流産のことを思い出すことも少なくなっていきました。
流産を経験して得たもの
流産の可能性があると言われてからは、ただただ悲しくて、「なんで私がこんな思いをしなくてはいけないんだろう」「できることなら経験したくなかった」と何度も思いました。
でも、少し落ち着いてきて思ったことは、この経験から得たものも少なからずあったということ。
(何かしらプラスに捉えないとやってられない、というのもあるけれど…!)
一番は、妊娠すること、育つこと、出産できること、子が無事に育つことは、当たり前のことじゃない、奇跡なんだ、という当たり前のことが心の底から、本当の意味で、理解できたこと。
それまでは、街にはたくさんの子どもたち、子連れファミリーがいて、何もなく妊娠出産している人がたくさんいて、”子どもがいることは普通のこと”と思ってしまいがちだったけど、あれは奇跡がたくさん見えているだけ。
そう思ったら、今目の前にいる娘が生まれてきてくれたことが本当に奇跡なことで、存在に感謝して、娘との時間をもっともっと大事にしようと思いました。
お空に帰っていった赤ちゃんには、これから娘と過ごしていく上で、とっても大切な、心のあり方を直してもらった気がします。
次もし妊娠できたとしたら、出産までできたとしたら、今までよりも心から感謝できると思います。
そして、私がこの経験から得られたもののもう一つは、流産を経験した女性の気持ちがわかるようになったこと。
仲のいい友達、知り合いにも流産を経験した人はいて、話を聞い(て一緒にわんわん泣い)たこともあったのだけど、今までは辛さを想像することしかできなくて、今になって思えば、本当に共感できていたかというと嘘になる気がします。
今は自分も経験したから、どれだけ辛かったかとか、体と心がどんな風に変化したかとか、今も亡くなった子のことを抱えて生きていることとか、もっと深い部分で分かり合えるし、共感しあえると思います。
実際に私も、ある場所でこの経験のお話をしたところ、同じく流産を経験されたたくさんの方々から「私も経験しました」と声をかけていただいて、当時の気持ちやどう乗り越えたかを教えていただいて、それを聞いた私はとっても救われて、気持ちが楽になりました。
過去に同じ経験をされた方の存在やその言葉は、確実に、今苦しんでいる人の力になる。
私もこの先悲しんでいる人を少しでも楽にしてあげられるような存在になりたい。
どんな経験も、財産になる。していく。
私、タダでは起き上がらないよー!
悲しい思いもたくさんしたけど、お空に帰っていった大切な大切な赤ちゃんには、私が女性として、人として、これから生きていく上でとっても大切なことを教えてもらいました。
私のもとに来てくれてありがとう。
あなたのことは、ずっとずっと大切な存在。
家族の一員。
これからも、一緒に生きていこうね。
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診断から自然排出までの具体的な経緯はこちら▼
(グロいので苦手な方は読まないでください。)
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