中国語のレッスンをしていて
「あの会社は〜の分野で成功している」みたいな文章を作りたくて
「那个公司〜」
と言い始めたら、すぐ、先生に
「成功するのは公司じゃない、成功の主語は人じゃなきゃだめ」、と注意されました。
日本語だと自然な「あの会社が成功する」という文章は、会社を一括りにしてまるで人のように主語として扱っていて、中国人からすると違和感でしかないらしい。
こういう発想は組織を自分ごとにする日本人ならではのものなのかしらと、このレッスンが終わってしばらく考えこんでしまった。
中国に住み始めてから、似たような違いを、少なからず感じてきたから。
組織第一主義の日本
日本人は昔から組織第一主義なところがある。
周りを海に囲まれて、資源が限られた小さな島国で、
狭い村の中で協力してうまく立ち回らなければ村八分にあった時代の名残だろうか。
戦争の時には「お国のため」と言って
自らの命を捨ててまで片道切符で対戦国に乗り込んでいく兵士たちがたくさんいたし
(もちろん彼らもやむを得なかったのだけれど、
アメリカ側が日本に対して何よりも脅威を感じたのは特攻隊の存在らしい。)
高度経済成長期には「会社のため」に
一生ひとつの会社で
朝から晩まで、
身を粉にして働くお父さんたちであふれていた。
転職は、組織への裏切り行為で、悪いことだという認識。
女性の社会進出が進んだ昨今も
組織のために必死に働いた結果過労死してしまう女性のニュースがあとをたたない。
家族のために、自分を犠牲にするお母さんたち。
それを美徳とする独特の文化。
今でこそ変わりつつある価値観だけれども、組織のことを第一に、まるで自分ごととして考える癖。
「組織、会社がこうなっていくために力を貸して」と言われてやる気を出す私たち。
日本独特の文化だなぁと思うわけです。
個人主義の中国
かたやお隣の中国では全く違う。
中国の時代劇を見ていると、中国でも家来たちは主君に忠誠的で、「あなたのためなら自分の命も捧げる覚悟だ」なんてセリフもちょいちょい聞こえる。
中国では、利害関係が一致した個人と個人の結びつきは異常に強い。
が、「この国のために」とか、「この家のために」みたいなセリフは少ない。
あったとしても、それはあくまでも上辺の話で、実は自分の私利欲望を叶えるための建前に過ぎなかったりする。
日本と違って、中国では転職はあたりまえ。
むしろ転職し続けていけばお給料が上がっていくという仕組み。
外から来た転職者は転職先の会社が知らないことを知っているはず、だから彼らを迎え入れたら会社にとっても利益がある、と考えられているわけです。(自分たちの情報が外に出る可能性ももちろんあるのだけどね)
中国に駐在している日本人が、中国人スタッフに、モチベーションを上げるつもりで
「この会社の未来のために、力を貸してほしい」と言っても
組織よりも自分のことが大事な中国人からしたら
「は?会社の未来?そんなん知らんし」という感じだろうと思う。
彼らにどうメリットがあるか(一番は給料、次に個人のスキル、将来性など)を提示できなければやる気を出してもらえるわけがない。
私の実体験
大学院で中国人と関わることが多かったのもあって、日本の組織第一主義と中国の個人主義の違いをまざまざと実感する機会がたくさんあった。
その中でも特に衝撃的だった二つの例を挙げたいと思う。
突然笑い出す中国人
中国人10人くらいと、私で授業後にランチをしていた時のこと。
なんせ10人と人数が多いので、カオスになることはある程度想像はしていたのだけれど、食べるペースにけっこうな差があるので、みんなのペースを把握しながら、私はバランスをとろうと、そのグループの平均スピードで食事をしていた。
すると一人の男子が、「じゃ、食べ終わったから寮に戻るわ」と言って去って行った。
まだ中国人の自由行動に慣れていなかった当時の私は、
「お、おぅ…自由や…私の気遣いは一体…」と
私の食事スピード管理は無駄に終わった(笑)
彼が去った後、女子が多かったのもあって、女子トークになった。
クラスで格好いいイケメンの話で盛り上がる女子たち。
つまらなそうにしている男子が目に入り、「男子からは誰が人気なの?」と話を振った。
その男子が答えてくれて、その答えがまた女子からすると意外で、どっと盛り上がり、私は心の中でガッツポーズをしていたのだけれど(お笑い芸人か)、その瞬間ある女子の高らかな笑い声が聞こえてきた。
その子、女子トークの中盤あたりから、話に飽きたのか、そもそも興味がなかったのか、自分のスマホを取り出して動画を見ていたのだ。(完全ノーマークだった…)
そして、面白いシーンがあったので、声を出してひとり大爆笑。
私が気を使って全体のバランスをとるように画策していた頃、彼女は完全に自分の世界に入っていた。
そしてそんな彼女に対して周りもびっくりするのではなく、
誰かがくしゃみした、レベルの軽さで、さらっと流したのである。
なんか私…完全に無意味なことに時間と気を使ってる…?
カルチャーショックってこういう時のためにある言葉だなと
思った次第。
チームでバランスをとろうとする日本人(私)
あるプロジェクトで、中国人女子、スイス人女子、私の3人で組むことになった。
自分たちで考えたビジネスプランを、サンフランシスコに行ってプレゼンするというもの。
最初はうまく行っていたものの、次第に自分たちが進めたい方向性が微妙にずれていった。
自分の意見をしっかり持った中国人とスイス人は意見が割れ、ミーティング中も激しいバトルが繰り広げられた。
はっ…チームの和が乱れていく…と慌て出す私。(典型的な日本人)
二人の話を聞いて、折衷案を提案するものの、なかなか納得してもらえない。
ある時、スイス人と私の2人で話すことがあって、私は、「意見なかなかまとまらないね…」と切り出し、彼女が中国人に対してどう思っているかを聞き出そうとした。
なんなら愚痴でもあったら聞いてあげようかぐらいに思っていた。
すると彼女は「あなたはどう思ってるの?」と。
言葉が出てこなかった。
乱れるチームの和を必死に戻そうと、バランスをとったり折衷案を提案しているうちに
自分の意見を言うのをおろそかにしていたことに気が付いたのである。
日本の組織第一主義は彼女も理解しているけれども、海外では、他人の意見に同調するだけで、他人と違うオリジナルの意見を言えないなら存在価値はない、評価されない、と言われた。(彼女はもっと優しくうまく伝えてくれたのだけれど、自分の頭の中で要約された内容はこういうことだった。)
長年日本で生きて来た自分の中で、「良いと思っていた」「褒められたことすらある」
この自分の動き方を、思いっきり否定された気がしてさすがに落ち込んだけれど、彼女の言うことはごもっともだと思った。
言葉だけとれば周りや組織のことを考えているようで、実際守っているのは自分で、
本当の意味では組織(ここではチーム)を良くしようと考えていなかったのかも、ということに気づいた。
日本人同士でここまでぶっちゃけて言い合ったらさすがに気まずくなるだろうけれども、外国人のすごいところは、この会話の後も今までと変わらずに仲良くしてくれたし、なんなら今までよりも打ち解けた感すらあった。
スイス人と中国人も、あれだけバトっていたのに、仲良しである。
その件以降私があまり気を使わずにガンガン意見を言い出したから、もちろんミーティングはさらにカオスになったけれども、自分の中でばきっと殻を割った音が聞こえるくらい、パラダイムシフトが起こった瞬間だった。
まとめ
組織がどうこうではなく自分がどうしたいか、に重心を置く中国人。
自分のことは差し置いてでも組織を第一に考えがちな日本人。
日本も中国も変わりつつある。
日本でも会社第一な人生ではなくて、プライベートも楽しもう、家族を大事にしよう、という動きは進んでいるし
中国でも、以前のような国営企業だけでなく、プライベートカンパニーが就職先として人気になりつつある中で、いい人材を囲い込もうと、組織の帰属意識を高めたり、金銭以外に起因するモチベーションを高める研修が盛んに行われている。
徐々に変わっている両国の変化を、こうして身近に感じられるのも、面白い時代に生きているなぁと思える。
これはいつも言っていることだけれど、どちらがいい悪いの話ではない。
そもそも違う、というだけ。
もちろん中国人、日本人の中でもいろんな人がいる。
中国人ならこう、日本人ならこう、という絶対的なものさしはない。
だから、相手が自分と同じように考えているはず、と思い込んで動くのは良くない。
違うことをあらかじめ想定して、混乱しながらも理解して腹落ちしていく必要がある。
私自身も、外に出て初めて自分の考え方の癖や日本の文化を意識したし、
それについて改めて考えた。
まだまだ自分個人の動きと、自分を抑えて全体最適をとる適切なバランスは見つけられていないけれど、人生の課題として、これからも探っていきたいなと思う。
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