唐の時代、空海が学んだ西安の青龍寺に行ってきました。
青龍寺
創建は隋の時代、582年。
当時は霊感寺という名前でした。
唐の時代、621年に一度廃寺となりましたが、662年に再建され観音寺と改名、その後711年に青龍寺と改名されました。
日本人の空海は、ここに来て密教の教義を学んでいました。
空海の師匠は、恵果和尚。
唐末の閃雷によって廃寺になっていましたが、1973年に塔の土台と殿堂が発掘されました。
(割と最近だったんですね!)
映画《妖猫传》 「空海 – KU KAI – 美しき王妃の謎」を見たばっかりだったので、ワクワクが止まりません!!
青龍寺、入場料は無料です。
中に入っていくと…
なんと、バドミントンしてました…(゚д゚)!
ネット、そんなところに張っちゃっていいの??(゚д゚)!
▼中のお庭がとっても綺麗です。
柳の木✕半円の橋=ザ・中国
って感じしますよね。
▼ここでもバドミントンなど様々な運動をしている人々が。
▼おばちゃまたちが、爆音を流して踊ってます。
衣装も着て、バッチリ!
入場無料というのもあって、市民の憩いの場になっているのですね。
人生を楽しんでいる感じが、とってもいい。
▼青龍寺のメインスポットへ。
▼ここの狛犬かっこいい。
映画《妖猫传》 「空海 – KU KAI – 美しき王妃の謎」で、空海が青龍寺に入るシーンもありました。
もともとはこういう建物だったのかしら。
▲画像引用:《妖猫传》(by腾讯视频)
▼恵果から密教を伝授される空海の像
映画《妖猫传》 「空海 – KU KAI – 美しき王妃の謎」でも、ずっとお寺に入ることを許されなかった空海が最後に認められて許され、恵果と会う、というシーンがあります。
▲画像引用:《妖猫传》(by腾讯视频)
▼世界平和を祈る塔もあります。
恵果空海記念堂
中には仏像が祀られています。
▼《妖猫传》から想像するに、こんな感じ。
▲画像引用:《妖猫传》(by腾讯视频)
古原楼
お庭
境内には、日本から贈られた桜の木が1000株もあります。
私たちはちょうど4月の清明節に行ったので、満開〜散り始めの頃でした!
▼愛媛県伊予三島市が友好の証に贈った木だそうです。
空海は四国(香川県)出身ですね。
空海記念碑
中国人さんたちに混じって並んで記念写真を撮りました(笑)
後ろの桜が綺麗です。
青龍寺遺址博物館
9:00からオープンです。
主に空海と、その師匠恵果についての資料があります。
▼空海の生い立ちの説明
小さい頃から漢文を読み、15歳に京都に入って儒家経典を研究していたそうです。
804年(空海30歳)に遣唐使として唐に渡ります。
▼空海が中国の長安(今の西安)に行った際のルート
▼恵果と空海の肖像画。空海さんなかなかイケメンだと思う!
微笑みの空海と言われていたそうです。
映画《妖猫传》 「空海 – KU KAI – 美しき王妃の謎」でも、ずっとニコニコしていました。
▼空海は唐で2年学んだ後、日本に帰国します。
帰国後は真言宗を創立。
平民の教育環境を整えたり、中国の文化を伝承したりしました。
▼空海、見つかりますか?
天台宗の円仁(圆仁)や円珍(圆珍)も恵果の法系に連なる法全に学んでいます。
右下の系図に二人並んでいますね。
空海は長安に2年しかいなかったのに、中国でもこれだけ名を残していて、すごいなぁ。
おまけ
青龍寺遺址博物館の中で、「日本の麺の伝説」という展示がありました…!
807年の秋、空海が故郷で甥の智泉大徳に教えている時、彼の病に伏せていた父親に麺を作ってあげたことが伝わったそう。
毎年空海の故郷では、麺を捧げる儀式を行うそうです。
讃岐の麺は香川県を代表する美食になりました。
と説明に書いてありました。
が、
その下に展示されていた麺が、
鍋焼き海老天うどん
鍋焼き味噌煮込みうどん
…
これほんまに香川県のか…!?とつっこまざるをえない展示でございました。
こういうところが中国オモローヽ(=´▽`=)ノ
観光情報
●住所:西影路铁炉庙村北
●電話番号:8552-1498
●営業時間:8:30〜17:00
※青龍寺遺址博物館は9:00〜16:30
●休業日:なし
●入場料:無料
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